昭和のSES:体で覚えろと言われた仕事の仕方

社会人としてSEの世界に足を踏み入れた当初、私の学び方は「とにかく動かしてみる」ことでした。ロジックはおろか、言語の文法もよくわからず、コードを書いては消し、消してはまた書き…。いま思えば、とても非効率だったのかもしれませんが、それでもあのときは「とにかく動けばOK」と思っていました。
当時の現場では、先輩や上司から「理屈はあとでいい」「体で覚えろ」と言われたものです。まさに昭和のSES現場らしい、職人気質な育て方でした。
手を動かすことと、理解することのバランス
数年経ち、ようやくロジックの「大枠」は見えるようになってきました。けれど、細かい処理や例外系にハマると、やはり行き詰まりました。特にエラーに直面したときは、各行に print や echo を埋め込んで、原因を探し出すしかありませんでした。
本来であれば、仕様や構造を理解し、設計に落とし込んだうえで実装すべきでしょう。しかし、当時は「とにかく納期」が最優先。理解している余裕はなく、コードを書きながら試すしかない。今振り返ると、あの頃の自分だけでなく、周囲の先輩たちもまた、試行錯誤の中でスキルや知識の壁にぶつかっていたのかもしれません。
現代のメンバーたちも「手を動かしながら」
最近では、若手メンバーと一緒に仕事をしています。彼らも経験年数こそ3年~5年と中堅に差し掛かっていますが、やはりコードを書いては動かしてみる、というスタイルが中心です。
今のメンバーは1~2年にわたり同じプロジェクトに携わっています。IT業界では比較的長めの配属期間かもしれませんが、それでもやはり、全体設計より「目の前のエラー解決」に重点が置かれている印象です。
そしてここ数年、AIの台頭により、こうした「手を動かしながら」学ぶスタイルも少しずつ変化しています。ChatGPTなどの生成AIを活用してコードを書く若手も多く、以前なら自分で書いていた処理を、今ではAIに任せるケースも増えてきました。
一方で、AIによってコードを生成できるようになったことで、「なぜこのコードで動くのか」「この処理は本当に正しいのか」といった理解が置き去りになる場面も増えています。考えずにAIに頼るスタイルが定着してしまえば、自己成長の機会を失いかねません。
また、セキュリティや機密保持の観点から、業務コードをそのままAIに渡して解析してもらうことは難しい場合もあります。特に日本の基幹システムは業務ロジックが複雑で、属人化している部分も多く、AIだけで対応できるとは限りません。
AIがよいのか、人間が考えるほうが正確なのか。その答えはまだ出ていません。ですが、SESやITエンジニアであれば、「なぜこう書くのか」「ロジックの意味は何か」を理解する姿勢は、やはり必要だと私は思います。たとえそれが昭和的な考え方だとしても、です。
「このやり方って、果たして正しいのだろうか?」──そう自問しながらも、手を動かし、考え、時にはAIにも頼りながら、一歩ずつ前に進む。それが今のエンジニアの現実であり、未来への模索なのかもしれません。

SESは泥臭い仕事なんです。
「体で覚えろ」「手で覚えろ」──昭和のSES現場で叩き込まれたこのスタイルは、今思えば、泥臭くも実戦的でした。決してスマートではないし、論理的でもなかったかもしれません。
論理的思考が重視されるこの業界ですが、現場では感覚や経験に頼って進める人も少なくないように感じます。でも、それがあったからこそ、「まず動くことが大事だ」という感覚が、私の中に根付いたのだと思います。
そして今、若手メンバーが同じように手を動かしながら学んでいる姿を見て、「これはこれで、一つの成長プロセスなのかもしれない」と思えるようになりました。
技術は日進月歩で進化していきますが、手を動かして学び、壁にぶつかりながら成長するという本質は、いつの時代も変わらないのかもしれません。そしてその泥臭さこそが、SESという仕事の面白さであり、誇れる部分なのだと思います。
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